ひらつかのれきし

お姫様ひめさまの塚つかから、七夕たなばたのまちになるまで

place「平塚ひらつか」という名前なまえのはじまり

むかしむかし、都みやこから旅たびをしてきたお姫様ひめさまが、 この地ちでなくなってしまいました。 人々ひとびとはお姫様ひめさまをほうむって塚つか(お墓はかの山やま)を作つくりました。 やがてその塚つかの上うえが平たいらになったことから、 「平ひらつか」とよばれるようになった——という言いい伝つたえがあります。

その「平塚ひらつかの塚つか」は、今いまも市内しないに残のこっているよ。 まちの名前なまえの出発点しゅっぱつてんだね

directions_walk東海道とうかいどう7番目ばんめの宿場町しゅくばまち

江戸時代えどじだい、ひらつかは東海道とうかいどうの 宿場町しゅくばまち「平塚宿ひらつかじゅく」としてさかえました。 江戸えどから数かぞえて7番目ばんめ。 浮世絵師うきよえし・歌川広重うたがわひろしげの 「東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ」には、 おわんをふせたような形かたちの高麗山こまやまと平塚宿ひらつかじゅくがえがかれています。

絵えの中なかの高麗山こまやまは、今いまも同おなじ形かたちのまま。 200年前ねんまえの旅人たびびとと同おなじ景色けしきを見みられるんだ

account_balance地震じしんで現あらわれた鎌倉時代かまくらじだいの橋はし

1923年ねんの関東大震災かんとうだいしんさいのとき、 ひらつかの田たんぼから突然とつぜん、大おおきな木きの柱はしらが何本なんぼんも現あらわれました。 じつはこれ、約やく700年前ねんまえの鎌倉時代かまくらじだいにかけられた橋はしの柱はしら。 「旧相模川橋脚きゅうさがみがわきょうきゃく」として国くにの史跡しせきになっています。

この橋はしの完成かんせい祝いわいの帰かえり道みち、 源頼朝みなもとのよりともが馬うまから落おちたという言いい伝つたえも。 馬うまが川かわに入はいったから「馬入ばにゅう」という地名ちめいになった、というお話はなしです。

temple_buddhist古ふるい神社じんじゃがいっぱい

  • 平塚八幡宮ひらつかはちまんぐう:約やく1600年前ねんまえに始はじまったと伝つたわる、まちの守まもり神がみ
  • 前鳥神社さきとりじんじゃ:相模国さがみのくにの四之宮しのみや。学問がくもんの神様かみさまとして受験生じゅけんせいに人気にんき

auto_awesome戦争せんそうをのりこえて、七夕たなばたのまちへ

太平洋戦争たいへいようせんそうのころ、ひらつかには 海軍かいぐんの大おおきな火薬かやく工場こうじょうがありました。 そのため1945年ねん7月がつ、大規模だいきぼな空襲くうしゅうを受うけ、 まちの多おおくが焼やけてしまいました。

戦争せんそうが終おわって6年後ねんごの1951年ねん、 まちを元気げんきにしようと始はじまったのが七夕たなばたまつりです。 焼やけ野原のはらから立たち上あがったまちが、 今いまでは日本にっぽんじゅうから人ひとが集あつまる星ほしのまちになりました。

  • 1932年ねん:平塚市ひらつかし誕生たんじょう(神奈川県かながわけんで4番目ばんめ)
  • 1945年ねん:平塚空襲ひらつかくうしゅう
  • 1951年ねん:復興ふっこうを願ねがって七夕たなばたまつりが始はじまる